約2千年前、イタリア南部ナポリ近郊のベズビオ山が大噴火し、古代都市ポンペイは火砕流などで埋まった。はるか遠い日本の鹿児島県にも「東洋のポンペイ」と呼ばれる場所がある。記者が東西のポンペイを歩いた。
この春訪ねたポンペイからは、ベズビオ山(1281メートル)が約10キロ北に見えた。火砕流は時速100キロ以上というから、住民が避難できなかったのは無理もない。
埋没前の街は、周囲約3・2キロが石の城壁で囲まれていた。紀元79年の大噴火は大量の火山灰や軽石などを11時間も降らせ、街はその後、火砕流にのみ込まれた。本格的な発掘の開始は18世紀半ば。モザイクや石像、生活道具などが相次いで見つかった。多くはナポリ国立考古学博物館が所蔵している。
かたや「東洋のポンペイ」は薩摩半島南部の指宿市にある。開聞岳(924メートル)の噴火による火山灰や土石流で埋まった橋牟礼川(はしむれがわ)遺跡だ。
大正時代、京都帝国大学の浜田耕作教授らが発掘。「『先史時代のポムペイ或(あるい)はサントリン』とも名づく可(べ)き面白い考古学上の遺跡」と報告書に記したことから「日本のポンペイ」と称され、1990年代ころには「東洋のポンペイ」の呼称が定着したとされる。
本家のベズビオ山噴火の様子…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル